をまちながらの日々

演劇ユニット「をまちながら」公式ブログ

をまち朗読「風立ちぬ」

2020年4月現在のような状況にならずとも、もともと第1回公演終演後の「をまちながら」の活動は、清水と佐竹それぞれの仕事の都合で少なくとも1年は公演が出来ず、まとまった日数の必要な企画も難しい感じでした。その内に何かしらの単発ワークショップでもしてみようか? などと考えつつ、当面の情報発信のため、YouTubeチャンネルを作っていました。

そこに緊急事態宣言以後、まとまった時間が与えられたのです。身動きがとれないこの状況で肩を落とすことなく、何かしらの新しい物差しで見て、思いもよらなかったアプローチが出来たら、という願いで、色々と試しています。

現在、オンライン上で様々な人々が様々な試みをしています。似たような状況なので、同じようなことを思いつき実践している例も多々あります。そんな中で自分たちが何をするか……。

目新しくなくても自分たちなりのものを! と思い、試みていることの1つが、朗読を配信してそれについての振り返りをブログ記事に掲載する「をまち朗読」です。その内、こちらのnoteにも記事を掲載するかもしれません。

選んだ作品は、堀辰雄 作「風立ちぬ」。ジブリ映画「風立ちぬ」の下地にもなっている小説。

とある避暑地で出会い恋に落ちた作家の男と絵描きの女。2人はやがて婚約しますが、女性は肺結核になります。男は自分たちの限られた時間・忍び寄る不安 と向き合うことで、目の前にある幸福をより深く受け止めて2人の「いま」を生きて行こうと決意します。そして、その後を生きていく男の姿が描かれています。

先の見えない不安の中を生きる、現在の私たちの琴線に触れ、生きて行く力になる作品であり、「をまちながら」の土台とする目線と共通するものがあることから、これを選びました。

ともに今を生き抜くために、いま出来ることを! よろしければ続けてお聴き下さい。下の再生リストからどうぞ!

をまち朗読 ふりかえり13

朗読「風立ちぬ」の振り返り13回目です。

夏に訪れた宣教師がその景色の美しさから「幸福の谷(ハッピー・バレー)」と呼んだ軽井沢のある場所を「私」は冬に1人で訪れます。思い出の中に生きる節子はなかなか姿を現わしてくれず、失意の日々を送る「私」は、そこを「死のかげの谷」と称するのです。

作家という職業柄なのか、「私」にはいつも自分を静かに見つめているもう1人がいて、最後まで静かな語り口調でこの物語を描きます。こちらも作者の真摯な向き合い方に対して、ただただ余計なことはせずに素直に読み進めることしか出来ません。

 

次は「死のかげの谷」後編。これで「風立ちぬ」は締めくくられます。あれだけやきもきしていた2人の幸福はどうなったのか。

読み手も初回から比べると格段に余裕があります。良き終わり方が出来たかと思いますので、ぜひ、下記リンクからお聴き下さい。

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をまち朗読 ふりかえり12

朗読「風立ちぬ」の振り返り12回目です。

いよいよ死が間近に迫って来た節子を前に、幸福を形にするための小説の筆は止まります。自分の無力を感じ、取り乱しそうになる自分を抑える「私」と、そんな「私」の悲しみを見まいとする節子。

自分の心の均衡をギリギリで保ちながら最後の時間を過ごす2人は、すれ違っているようにも思えますが、互いを思い合っています。

心情を表すための過度な表現をせず静かに描きだすこの作品は、私たちに、その奥にある様々なものを想像させ、2人の関係を静かに見守ることが出来るものとなっていると思います。

 

次はいよいよ最終章、「私」のその後が描かれた「死のかげの谷」の前編です。

下記リンクからお聴き下さい。

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をまち朗読 ふりかえり11

振り返り11回目です。

世間から行き止まりだと思われがちなところから始まっている2人の幸福を形にすることは容易ではなく、「私」は改めて自分の思う幸福が独りよがりのものではないかと自問自答を繰り返します。

ここは、目に見えず触れることの出来ないものを形にする、ものづくりに携わる人間にとってはとても共感できる部分です。

肉眼でみたものを写真におさめようとしても、全く印象が異なったものになってしまいます。同じ「視る」という行為でも、それはまた別の表現媒体であるのです。

どこまでいっても肉体の感覚に勝るものはありません。しかし、その感覚を伝えたいと思い、皆、表現をしているのです。

 

作品中の「私」は、厳しい現実の中、必死に向き合うことで、この幸福を深めていけるのでしょうか。

次は「冬」の章の最後です。下記リンクからお聴き下さい。

youtu.be

をまち朗読 ふりかえり10

振り返り10回目です。

冬の章からは「私」が小説を書くにあたっての手記という形に。

これまでの章も「私」による語りで進んでいたので、大きい変化はありません。

2人でつくりあげる幸福、という主題に集中し、その他の出来事は断片が描かれるのみです。

これが堀辰雄さんが見出した、悲愴感を前面に出さずに自分の描きたいものを少しでも濃く表す方法だったのだと思います。

もはやここまでくると読み方云々は計算していませんが、振り返ると、独白が増え、必然的に、より静かな語りとなっています。

 

次は「冬」の章、2回目。

下記リンクよりお聴き下さい!

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をまち朗読 ふりかえり9

振り返り9回目。ついに「風立ちぬ」の章が終わりました。

ここから作家である「私」が書く小説の構想を考える箇所が増えだして、その辺りの変化をどう表すかを探りつつ読み進めています。

2人は自分たちの与えあっている生の幸福を作品の中で形にすることに希望を見出します。そのことが、いま目の前にある厳しい現実と向き合う力にもなっているようにも思えます。

この動きのない静かな作品の新しい展開がここからはじまります。

 

次はいよいよ佳境に入る次章「冬」の1回目です。

下記リンクより、お聴きください。

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をまち朗読 ふりかえり8

振り返りは8回目となり、物語も後半部に入っています。

風景の描写がほとんどなかったため、スムーズに読むことが出来ました。

慣れの問題なのか、風景の描写と比べて遙かに人の心理が掴みやすいです。

風景と人物の心理状態が重なっていたり、対比として使われていたりする、このような作品に触れることは、とても勉強になります。

厳しい現実を前にして、自分の信じている幸福が揺らぎはじめてきた「私」は、それを確かなものとして形にするために、節子のことを小説に書こうと決心しました。

厳しい現実をさらに深堀りして心に留める、創作者としてはまたとない絶好の機会とも言えますが、恐ろしく苦しい選択です。2人でつくりあげていく幸福はどうなっていくのでしょうか。

 

次はついに長かった「風立ちぬ」の章の最後です。

下のリンクからお聴き下さい。

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