をまち朗読 ふりかえり7
「をまち朗読」7回目、いかだったでしょうか。
ある意味、閉ざされた2人の生活の中に、「私」とは違う立場で節子のことを真に想っている義父の訪問がありました。やはり外部の人間が入ってくるとまた違った側面が見えて面白いです。
「春」の章でもそうでしたが、義父と「私」の互いに切実な想いがありつつも、ちぐはぐなやり取りは、どこか可笑しくこの小説の中での救いに感じます。病状悪化して~等の緊張感のある場面も、小説本文にも書かれている通り、2人の生活の中での大きなアクセントになり、この静かな物語を読む上でも1つのアクセントになるのが興味深いです。
8回目の朗読配信は「風立ちぬ」の章の5つ目。
「私」が仕事を再開することを決意します。物語の新たな部へつながる大事な場面です。下記リンクよりお聴き下さい。
をまち朗読 ふりかえり6
「をまち朗読」振り返り6回目です。
全体的に静かな2人だけの生活描写が続きます。このことから「私」が節子にいかに付きっきりでいたかを読み取れます。気が付いてみると季節も移り変わっている、という表現があるくらい、2人の生活を中心として、外の世界を見て感じています。
読み手として特にそういった表現をしてはいませんが、他の患者の死に不安を強くしたりほっとしたりする、そのある種、異様ともとれる「私」の様子が、皮肉めいた滑稽さをもって描かれているようにもとれます。このあたりは「私」に寄り添って読む姿勢にしているので、ハッキリと自覚できない不思議な感覚への微妙な戸惑い、に近いような感じで読んでおります(言葉で表現するのが難しい…)。
清水は、放っておくと、ついついキーが上がってアップテンポに楽しい感じになってしまうので、この静かな描写の多い作品に挑むにあたっては、かなりコントロールが必要です。
また、この回に限ったことではありませんが、「私」が心の中で自問し、考えを巡らる箇所は、この距離感で良かったのか? と、読み手としても自問してしまいます。
7回目の配信は「風立ちぬ」の章の4つ目。
2人の世界に外からの訪問者・義父が訪ねてきます。どうぞ、下記リンクよりお聴き下さい。
をまち朗読 ふりかえり5
「をまち朗読」振り返りも5回目となりました。
読み方は、段々、安定してきた気がしています。
これは「語り手としての私」の在り方が、決まってきたことが大きいと感じます。
他のバランスはまだ探り探りです。
最近は、「現在進行形の私」について、少し能天気過ぎるか? など、いま起こっていることへの理解加減を探りつつ読んでいます。
また、表現に生っぽさを入れようとすると、読み手である清水の性質が前面に出過ぎるので違うものになりそうで難しいです。
逆に、これは自分の表現だと割り切っているところもあります。
正解のないことに頭を悩ませつつ、進歩していければ!
サナトリウムでの愛の生活の中、死と向き合うことでより深く日々の喜びを感じることが出来る、と考え、2人の限られた時間をより幸福に過ごそうとする「私」は、夢想に惚けていたことを思い知らされました。
考えてみれば新婚生活のはじまりですから、無理もない気がします。
続く6回目の配信は「風立ちぬ」の章の3つ目。
「私」は、同じサナトリウムの患者の死を身近に感じ、死をより近く意識するようになります。
下のリンクより、お聴き下さい。
をまち朗読 番外編
今回の ブログ版「をまち朗読配信」はいつもと違う趣向でお届けします。
朗読録音を継続する中、読み方(特に語りの部分のトーン)がある程度安定し、内容理解も少しずつ深まってきました。
そこで、この作品の、そしてこの「をまち朗読」の入口になる「序曲」を、もう一度、録り直してみることに。
初挑戦版は初見のため言葉のニュアンスのみで読んでいます。情景描写の読み方や解釈が少し違うと感じる部分もあったためです。
聴き比べてみるのも面白いと思い、初挑戦版もブログ等ふりかえりの記事から視聴出来るようにしています。
感情的な部分においては初挑戦版の方が新鮮かもしれません。リテイク版は安定感と、後の展開をふまえて練られた(?)表現とテクニックでカバーしているつもりです。
下のリンクからお聴き比べ下さい。
リテイク版「序曲」はコチラ
初挑戦版「序曲」はコチラ
をまち朗読 ふりかえり4
「風立ちぬ」朗読の振り返り4回目。
場面が大きく変わるため説明が多く、緩急がないため面白味には欠けます。しかし、その分、堀辰雄 氏の文体をしっかり味わうことが出来ます。
読み手としては、まだ馴染めず苦しんでいる様がみてとれます。前回の記事で、この作品の行間を感じさせる描写が巧みと書きました。そんな情景描写の中でも特に「私」の目にしている風景がえがかれた箇所をどうするか、なかなか掴めずにいるのです。そんな不安定な空気が、2人の生活する新しい地への不安のように見えたら、などと都合の良い考えも浮かぶ有様。
この先の展開が気になるような導入部の表現。まだまだ勉強が必要なようです。
5回目の配信は「風立ちぬ」の章の2つ目。
2人のサナトリウムでの風変わりな愛の生活が始まります。そんな「私」に現実が突きつけられる重要な箇所です。ぜひ! 下記リンクよりお聴き下さい。
をまち朗読 ふりかえり3
3回目の振り返りです。
配信中の音声は、改めて聴いてみると反省点が多々あります。
語りの技術的な部分はもちろんのこと、読み進めているうちに内容理解も徐々に深まりつつあるので、自分の表現への違和感を感じる箇所も出てきます。
表現は控えめに、誠実に読もうとしているものの、あまり意味音声を重視すると、文と文の間の音が繋がらないことが多く、
むしろ何も意識せずに心情が入ってしまった というものの方が上手く繋がります。その代わり、不必要な息やノイズが入ったり、その日その時の体調によってもズレが生じてしまいます。
しばらく苦労しながら、この作品に合わせた自分のスタイルを探っていきたいと思います。
さて、「春」の章では、穏やかな日々の中、徐々に不穏な足音が聞こえてきました。
節子が口にした「生きられるだけ生きましょうね」という言葉の深さと、そこに込められた優しさを、この時点の「私」はどこまで感じ取っていたのでしょうか。
このあたりの行間を感じさせる描写が本当に巧みです。
4回目の配信は「風立ちぬ」の章の1つ目です。
この章は長く、分割する箇所も難しいため、いくつに分けることになるかは、まだ分かりません。
物語 第2部のはじまり。2人は長い旅路を経てサナトリウムに到着します。よろしければ、下記リンクよりお聴き下さい。
をまち朗読2 ふりかえり
「をまち朗読」2回目、いかがだったでしょうか。
さっそく振り返りをしていきます。
「春」の章は、人とのやりとりや動きが多いので、比較的読みやすい章でした。
「風立ちぬ」という作品、何となくあらすじは知っていたものの、読むのは初めてです。現在のところ、少しずつ読み進めながら朗読していくというスタイルを取っています。なので「作品に対しての気づき」も後になって出てきます。
この作品、短い文ややりとりの部分はそうでもないのですが、特に情景描写の部分など、文字を追っていて文章が分かりにくいと、読みながら感じていました。
どうやらこれが堀辰雄という作家の特色ある文体のようです。
これについては後日、改めて語らせていただきます。
今回は、地の文と会話文の読み分けについて少し。
形としては、トーン・スピード・テンポ・崩し加減、などいろいろあると思いますが、それをあまり意識し過ぎるよりも、心理的・物理的距離を捉えて読んだ方が無理なく馴染みやすいと思います。
地の文は「語り手としての私」、会話文は「進行形の私そして他の登場人物」
「語り手としての私」は、主に過去の事を語る「私」ではありますが、心情的には現在進行形に近い距離になったり、遠い過去の思い出になったり、時間を行ったり来たりしています。
この様々な「距離」についても、引き続き綴っていくつもりです。
どこまで出来ているかは分かりませんが、その辺りにも注目してお聴き下さい。
3回目の配信は「風立ちぬ -春-」の章 後半です。
旅立ちに向けての大切な部分。下記リンクよりご視聴下さい。